雨が上がるその前に、楽しめることもある。
雨音をBGMにこんな出来事があるのです。
雨音を聞くと思い出すことがある。
6月の早朝だった。アパートの1階で目の前には小さな庭があった。土埃が水に弾ける甘い香りがした。紫陽花の色は青。軒先から滑り落ちてくる水音がひたすらに響いていた。二人、裸で眠って起き、まだ布団から出れずにぐずぐずしていたその朝。男は私の膝の上で猫のように目を細め、「雨の音なんて久しぶりに聞いた」と言った。
もう一つ、雨の音で思い出す事がある。
あれも6月だった。深夜の路上だった。大きな傘に二人で肩を寄せ合うように入り、私達は言葉を交わしていた。他愛もない会話だった。「寒い」、「冷たい」、「靴が濡れた」。次に行く場所はどこなのかを探り合う時間稼ぎの会話だった。通り過ぎる車の音も雨音も激しく、私は言葉を発した男に「聞こえないよ」と言った。男が「え?」と聞き返した。私は男の肩をつかみ、背伸びをした。そして、耳元に唇を近づけた。
「聞こえない」
もう一度言った。唇が、男の耳にかすかに触れた。
この後はどうなるのか、そしてこのエピソードが嘘なのか本当なのかはご想像にお任せします。
ただひとつ本当なのは雨音は時に美しいということ。
テレビも消し、音楽も消し、携帯もオフにして、ただ雨音に耳を澄ます。
雨上がりの道路がきらめくその前に、「雨の音がするよ」と囁いてみたり「雨だから帰るのが面倒臭い」と言ってみたり。
時間はいつも有限で、季節は放っておいても過ぎていく。だからこそ、貪欲かつ狡猾に楽しんでこそナンボなのです。
忙しなく生きている誰かを少し引き止め、雨音の美しさをそっと囁く。
そうすればあなたの雨に濡れた冷たい足先は、誰かが暖めてくれるでしょう。


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- 三谷晶子
- (小説家)
- 東京都出身。俳人・三谷昭を祖父に持つ。2008年に小学館より発売の『ろくでなし6TEEN』で小説家デビュー。都内定時制高校を舞台に女同士の恋愛とも友情ともとれる微妙な関係をリアルかつ繊細に描き好評を博す。2009年はキャバクラを舞台にした新作長編、母と子の関係を描く小説などを発表予定。
- ・ブログ『三谷晶子の日々軽率。』





