私でも誰かのためになっているんだと気がついたら
仕事に没頭している頭を心おきなく引っこ抜き、自分を愛しもう
高卒の私は、社会に出て早13年。
その職歴は「給食のおばさん」に始まって、出版社でアルバイト、イラストレーター、デザイナーと遷移しているが絶え間なく働きつづけている。
好き勝手やってきている私でさえ、働いているいちばんの理由は生活のため、お金のため、自分のためである。
生活費をこさえて生きていかなくちゃ行けない。
そのための手段を選り好みして、デザイナーだイラストレータだと「浮かれた職業」を選択している。
「ふつうの仕事」というのは、「我慢するもの」だと教わった。
着たい服は休日に、派手な髪型は学生のときに終えて(学生の時は社会人になってからやれって言うのに酷い矛盾だ)、自分のやりたいこととは切り離して考えるべきものが「仕事」であって、やりたいことでお金を稼ごうというのは仕事に在って仕事に在らず。
人一倍努力して苦労して当たり前だし、「ふつうの仕事」じゃないんだから休みも返上して当然だ、と。
だから、仕事をくれている人に「ありがとう」ということはあっても、誰かに「ありがとう」だなんていわれることはないと思っていた。
納得のいかない仕事をしない代わりに、出来ることを一生懸命やる。 「ふつうの仕事」をしない罪滅ぼしとばかりに、休むことに後ろめたさを感じながら。
今回の特集を思いついた時もそうだ。
11月の祝日「勤労感謝の日」に合わせて、私の快適な生活の「当たり前」を支えてくれている人に「ありがとう」と言いたい……とかこつけて社会科見学したいだけだった。(それが取材という名目なら、仕事っぽくてより行っても良いような気がする)
でもよく考えてみよう。
どんな仕事であれ、お金という対価を得ている以上、誰かに何かしらのサービスを提供している。誰かの「快適」を手助け出来ているってことだ。 私も、あなたも。
あんまり考えたことなかったけれど、働いている以上、多かれ少なかれ誰かのためになっているんだと気がついたら、なんだか少し救われたような気がした。
仕事に没頭しすぎていると、自分のことだけを考えているような、なんだか後ろめたい気持ちなっていたけど、そうとは言い切れないのだ。
社会と繋がって、労力を提供するってことが、誰かのためになっているんだなんて、「当たり前」のことだけどうれしくなった。
ボランティアだ、寄付だ、社会貢献活動だ。
そんな大それたことをしなくても、「ふつうの仕事」をしていなくても、生活を営むために労働していれば「ありがとう」を生産できているのだな。
そうとわかれば、たまにはそんな働き詰めの自分を愛しむ。
「オツカレ」だけじゃなく「ありがとう」と。
で、没頭してる頭を心置きなく、ズポッと引っこ抜いて、ずる休み……いや「ありがとう休暇」をとるのも良い。
「ありがとう」の言わせ過ぎも、恐縮させちゃうからね。
なーんつってなー、ズポッ。


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- コヤナギ ユウ
- (yours-storeダイヒョー)
- イラストレーター・デザイナー・プランナー、株式会社yours-store代表。趣味が趣味に留められず「始めることが大切」と見切り発車し、「続けることがいちばん大切」と雪だるま式に人を巻き込む。登山とカメラが今の趣味で雑誌マニア。社会科見学先でハンカチーフを集めている。
- ・ブログ:i live you!





